「何も起こらない明日へ」、日々準備して、それを続ける努力をしていこう。
・・・と言うお話でした。
本来我々は、病気に罹ったらどのお医者さんに診て貰おうとか、
完治する病かどうかを心配するより、病気に罹らないためには、この
食生活で大丈夫かどうか心配するほうが、より現実的であると思います。
その為には、巷に溢れているウソの「健康情報」に騙されず、それを見極めて
「何も起こらない」為の日常を淡々と過ごしたいですね。
でも、この「何も起こらない」為にがんばるなんて話、なかなかに理解されない・・・。
たとえば歴史の本に書かれている事は、その時代に起きた事件の記録です。
我々はその時代に起こった事件の羅列を、歴史だと考えがちです。
でもそこには書かれていないのですが、人々の「何も起こらなかった」日々の
普通の暮らしがあったはずなんです。それは歴史の本には書かれていない。
「何も起こらなかった」日々を、人々がただ淡々と過ごしている時間が
過去の歴史の大半を占めていると思うんです。
でもそのような変化のない日常は、事件の羅列で成り立ってる歴史の
ようには、語られていませんよね。
「何も起こらなかった」人々の歴史は、ほとんど本にも記載されなし地味
なので、人々の興味や関心を呼ばないんです。
電気などない時代に、「何も起こらない」ように日々を過ごすのには、
知恵と労力と勇気が必要だったでしょう。
「何も起こらない」日々の為に、最善の努力をして「起こる」危険性を
出来る限り回避する・・・それは地味だけど、美しい生き方だと思います。
それを食事に置き換えてみると、健康な身体のため、「何も起こらない」明日
のために準備するなんて、話題にもなりにくいですね。
だって、多くの人は自分のことある程度は、「健康」だと勘違いしてますもの。
ワタクシも昔は、その様な勘違いをしていました。
30代前半の身体の調子のまま、食事の改善無しで今の年齢(40代後半)を
無事に迎えられたかどうかは、かなり怪しいと思っています。
生きているとしても、たぶん大きな病気の1個や2個くらい喰らってたでしょう。
そこで失われた時間とお金。そしてダメージを喰らって弱ってしまった身体。
単純に考えても、命は助かったとしても、失うものが多すぎる。
「何食べようがオレの勝手だろ」と言うのも簡単ですが、それが「起こって
しまって」からでは、事は簡単ではないと、思うんですよね・・・。
人々は歴史と同じで、事件めいたもの・・・食べ物でも話題になりやすいこと
が好きなんです・・・その時々の流行の食べ物然り、有名人などを使った
企業のCM然り・・・。健康やダイエットにイイと言われる食べ物然り・・・。
ただ、売れればいいだけで、その裏にある安全性などは、二の次三の次・・・。
何度でも言いますが、知らない者が負けなんです・・・食べ物については。
そして話題に乗っかった代償として払われるのが、いつか起こってしまう
かもしれない健康被害です。でもそれは結果として、「知らない方が悪い」
で済まされてしまいます。話題を提供した側には、なんの罪もないのです。
だからこそ、そんな情報には飲み込まれずに、踊らされずに、
特に家庭の食事においては、事件めいた物で食卓を埋めるのではなく、
平凡で安全な食事を、日々淡々と摂りたいものですね。
知恵や勇気を出して、「何も起こらない」日々のため・・・「起こって」しまったら
そこで失うものは意外と多いと言う事を、肝に銘じておきたいですね、お互いに。