やはり食品に関しては「正しい知識、情報」を持つべきであろう・・・
と思います。
我々の所属している『ラーメン』の世界で、よく出てくる『化学調味料』論争。
一方は「こんな化学調味料たっぷりの味がウマイなんて、舌がバカな証拠。」
一方は「化学調味料を使って旨いなら、それのなにが悪いのか。」
「くやしかったら化調抜きで旨いラーメンを作ってみろ。」等など・・・。
このようなタイプのも書き込みも見かけます。
「化調を大量摂取すると身体に悪いとか言うけど、醤油だって大量に
飲めば死んでしまうから、危険だ。」みたいな、とんでもない意見もあります。
そして、やはり多いのがこの意見・・・「旨ければ何でもイイ。」
結局ここに辿り着く・・・「旨ければ何でもイイ。」
「化調が身体に悪いとかどうでもイイんだよ!旨ければ何でもイイ!」
・・・・このように言ってしまえば、もうお終い。議論の余地無し。考える余地なし。
この話に『バカの壁』を立てて、その物事の中身を知ろうともしない。
いつもこのような不毛なやり取りを見てると、否定するにしてもやはりある程度の
知識を持って、反論ないし否定すればいいのに・・・と、思っていました。
知ろうよ!・・・と。知った上で反論しようよ・・・と。
逆もありますよね。安全な食の原理主義者。
テレビである芸人さんが話していた、家の食事の話です。
そのおかあさんが食に気を使っている人みたいで、食事も安全な物ばかり
だったそうなんです。しかしだんだんエスカレートしてきて、遂には食事に「泥」が
出てきたそうです。
今まで我慢していた家族も、さすがにそれを見て「これはアカンやろ!」と全員で・・。
それを聞いたおかあさんは、「でもこれ身体にイイんよ。」・・・ですって。
前の話もこの話も、結局は同じ過ちを犯していると思うんです。
「旨けりゃーなんでもイイ」「身体にイイ食事はすべて正しい」
両極端のように見え、ベクトルこそ違えども同じ病ですよね。
化学調味料至上主義も、食の安全原理主義も不毛なだけで何も生み出さない。
偏った思考(嗜好)は視野を狭ばめて、目の前にある現状だけが正しいと
錯覚していまう恐ろしさがあるのではないでしょうか?
そのバランスを取るために必要なのが「正しい知識、情報」だと思うんです。
それが視野を広げて「正、悪」だけの二元的な見方から、もっと「グレーゾーン」
を含む広角的な見方が出来るんじゃないでしょうか。
そうすれば今よりもっと食生活を楽しめるようになると思うんですが・・・。
ゲームでもそうじゃないですか。武器が沢山有ったほうが楽しめませんか?
「正しい知識、情報」で成り立つ食生活は、かなり豊かなものになるのではないかと。
食生活が豊かだと、人生も豊かになるんではないかと。
・・・・と、ラーメン屋のおやじが言ってます。
説得力ないなー。